14年を経て挙行された「第43回生卒業式」 校友会がホームカミングデーで企画

2011年3月11日、日本は未曽有の震災に見舞われました。東日本大震災です。7日後に卒業式を控えた跡見学園女子大学第43回生916名は、学業をまっとうし、社会への旅立ちを祝う式典を迎えることができませんでした。
それから14年を経て、学園創立150周年を記念した5月10日のホームカミングデーで、大学校友会の一紫会が「第43回生のための卒業記念セレモニー」を企画。会の呼びかけを受けて33名が参列しました。

卒業生は3つのグループに分かれて壇上に。温かい拍手が送られた
学生時代に戻り、少しでも卒業式の雰囲気を味わってもらいたいと催された卒業記念セレモニー。文京キャンパスのブロッサムホールを会場に、小仲信孝学長、一紫会の羽吹綾子幹事長の挨拶に続き、一紫会寄贈による跡見伝統の袴を身にまとった「卒業生」が、一人ひとり名前を呼び上げられて、一輪の花を手に壇上へ。多くの先輩、後輩が見守り拍手を送る、温かい式典となりました。
43回生を代表して感謝の言葉を述べた木村麻里絵さんの承諾を得て、ご挨拶の全文をご紹介します。
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🌸2010年度卒業生を代表して「卒業記念セレモニー」への感謝の言葉
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43回生を代表して挨拶に立つ木村麻里絵さん
みなさま、ごきげんよう。
ただいまご紹介にあずかりました、43回生の木村麻里絵と申します。
この度は、学園創立150周年の節目、誠におめでとうございます。そしてこの良き日に、私たちのために、このようなすばらしい卒業セレモニーを企画していただき、本当にありがとうございます。この企画を実現するためにご尽力くださった、羽吹幹事長をはじめご協力いただいた皆様に、43回生を代表して深く御礼申し上げます。
私たち43回生は、2011年3月に卒業の日を迎えた代でございます。
3月11日。未だ体験した事のないような大きな地震、テレビをつければ信じられないような光景が毎日映し出される日々。あの日を境に、世の中がガラッと変わり、お祝い事というお祝い事は、次々に中止になっていきました。
私たちの卒業式も例に漏れず、中止となりました。
当時は仕方のないこととはいえ、袴のレンタルをキャンセルし、卒業証書は郵送で届き、そしていつの間にやら社会人として働き始めている。そんな節目のない「卒業」に、もやもやとした気持ちを抱えていたことを、今も鮮明に覚えています。
なので、今回の卒業セレモニーの企画を知った時には、「私たちが卒業式をしていないことを、忘れないでいてくれた人がいたんだ!」という喜びでいっぱいになりました。そして何より「跡見で袴を着る」ということは入学当初からの憧れでしたので、こうして夢が叶い、華やかな節目を迎える事が出来たこと、大変嬉しく思っております。
「節目」とは、「竹」が由来と言います。竹は、長いものでは十数メートルを超える高さに成長し、成長期には一日に1メートルを超えるスピードで成長するものもあるようです。しかし、実は節の部分では成長がぐっと遅くなるといいます。それは、これから大きく成長する体を支えることのできる、しっかりとした節を作っているから。そして節が出来上がると、またすくすくと伸びていく。この、節をつくる、伸びる、という過程を繰り返して、強風や、重たく積もる雪にも負けない、美しくしなやかな竹に成長するのだそうです。
私たち43回生は、卒業の日から14年以上経った今日、やっと大学卒業という節目を迎えることができました。長い時間をかけて迎えた節目でしたが、だからこそ、これからの人生を支えてくれるしっかりとした節目が出来上がった、と思っております。そして、今日という節目を境に、私たちは、より強く、より美しく、そしてしなやかな竹のように、どんな逆境にも耐える女性として、これからの人生にもっともっと果敢に挑戦していける、そのように確信しております。
この日を迎えられた私たちは本当に幸せ者です。
優しく、あたたかい、想いある先輩・後輩に恵まれたことに、心から感謝しております。そして、そんな跡見の卒業生であることを誇りに思います。
最後に、学園の益々のご発展と、皆様のご多幸を祈念して、わたくしからの挨拶に代えさせていただきます。
43回生代表 木村麻里絵