施設紹介

旧伊勢屋質店(菊坂跡見塾)

施設概要

樋口一葉ゆかりの旧伊勢屋質店。平成27年に学校法人跡見学園が取得・保存しています。平成28年3月には文京区指定有形文化財に指定されました。教育施設として活用することはもとより、週末には広く一般公開を行っています。

所在地:
東京都文京区本郷5丁目9番4号
公開日:
・土曜日、日曜日 12:00~16:00(最終入場は15:30)【入館料は無料】 
公開日時:
・年末年始、大学行事日程等を除く。・公開日程の詳細、臨時休館等は【7月から9月はこちら】【10月から12月はこちら】ご覧ください。

アクセス:
 
・都営大江戸線・三田線「春日駅」より徒歩約5分
・東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園駅」より徒歩約7分
・東京メトロ丸ノ内線、都営大江戸線「本郷三丁目駅」より徒歩約7分
お問い合わせ:
・跡見学園女子大学文京キャンパス事務室:03-3941-7420

アクセスマップ

旧伊勢屋質店について

旧伊勢屋質店が立つ菊坂は、古くは一帯に菊畑が広がり菊花を作る者が多く住んでいたことから、菊坂と呼ばれるようになったといわれています。 江戸時代中期に町屋が開かれて以来、明治時代には多くの町屋が立ち並ぶにぎやかな町となりました。しかし、今では、都心にあって庶民的で静かな佇まいの菊坂の界隈で、往時を偲ばせるのは旧伊勢屋質店のみとなっています。 旧伊勢屋質店は万延元年(1860)に創業し、昭和57年(1982)に廃業しました。建物は幾度かの修繕がなされていますが、見世(店舗兼住宅)、土蔵(倉庫)、座敷(住居)が現存しています。明治の面影を色濃く留めている伊勢屋質店は、永く保存していくべき建造物と棟札(見世)が、平成28年3月1日に文京区指定有形文化財に指定されました。 店構えは、江戸時代の町屋の造りが継承されており、出格子・出桁造り・屋根瓦・鬼瓦などにその特徴がみられます。 道路に面する見世の出格子は、防犯のためかつては真鍮製だった時代もありました。商売柄か、玄関は直接道路から見えないよう、入り口の差鴨居の上には、厄除けの寺社の札が入った箱が置かれていました。 見世と土蔵を平入りにした配置や、日当たりと風通しを確保するための中庭、夏の間は障子を外し、桟だけにすることで風通しを確保する大阪障子など、限られたスペースを合理的に活用する工夫に加え、人目に触れる場所には良材を使う気配りなども町屋の特徴と言えるでしょう。

土蔵の移築と防災の備え

目塗り土

伊勢屋質店の土蔵は明治20(1887)年に南足立郡鹿濱村(現在の足立区鹿浜)より移築されたものです。 土蔵の移築は大変手間のかかる工事で、道路使用許可のため当初100日程度で申請された移築工事の日数は、延長に次ぐ延長で合計250日を超えるものになったと記録に残っています。作業にあたった職人は延べ396人にものぼり、中でも左官職人の出入りは200人強と、移築工事におけるその重要性がうかがえます。金額的にも大きな仕事であり、土蔵の購入代金、職人の手当などを合わせると、当時のお金で300円近い費用を要しました。 頑丈な土蔵は火事にも強く、いざという時の延焼を防ぐため、季節風を考慮した北や西に配置されることがしばしばでした。伊勢屋の土蔵も北西に位置しています。さらに土蔵の入り口にあたる玄関廊下の床下には、火災時に扉の隙間に塗りこむことで、火が入ることを防ぐための“目塗り土”が常に使える状態で用意されていました。

樋口一葉と伊勢屋質店

樋口一葉は明治23年9月から26年7月までの3年間、本郷菊坂の借家に暮らしていました。その菊坂時代を語るのに欠かせないのが、伊勢屋質店です。 父則義の死後、樋口家の戸主となった18歳の一葉は、作家として身を立てる決意をします。しかし、手探りでめざす職業作家への道は、険しく、母と妹も着物の仕立てや洗い張りで支えるものの、生活は苦しくなる一方でした。 こうした折り、駆け込んだのが近所にあった伊勢屋質店でした。 「伊せ屋がもとにはしる」。 一葉は何度も日記にこう記していて、当時の逼迫した様子が浮かび上がってきます。伊勢屋が一葉一家の窮乏生活を辛うじて救っていたと言ってもいいでしょう。 一葉と伊勢屋の縁は、菊坂の地を離れた後も、亡くなるまで切れることはありませんでした。 (本学文学部 教授 小仲信孝)

その他注意点

※混雑時は入場までお待ちいただく場合がございます。 ※事前予約は承っておりません。 ※駐車場、駐輪場のご用意はございませんので、公共交通機関をご利用ください。 ※館内での写真撮影はご遠慮ください。 ※館内は完全禁煙となっております。 ※館内にお手洗いの設備がございませんので、駅など公共機関の設備をご利用頂きますようお願いいたします。 ※悪天候等により、予告なく休館する場合がございます。