1840年( 天保11.4.9 )摂津国(大阪市)に生まれる。名は瀧野、雅号は花蹊、不言。12歳の頃までには一通りの画、琴を学び、16歳の秋、一人京都へ学問修行のため旅立つ。頼山陽の門下生である宮原節庵のもと漢学・詩文・書法を、円山応立と中島来章に円山派の画を学ぶ。その後、大阪へ戻り、父と大阪中之島に跡見塾を開く。その傍ら、山陽門下の後藤松陰に就いて漢学を学ぶ。1870(明治3)年東京へ移り、1875(明治8)年、神田中猿楽町(千代田区三崎)年に跡見学校を開学する。これより跡見学園の長い歴史が始まった。花蹊は、教育者の前に画家として書家としてその名を広く知られており、諸芸術の心をもって、新時代を生きる女性の育成に当たるべく跡見学校を開学したのである。
学校紹介
沿革

跡見学園は、創立者 跡見花蹊が東京神田中猿楽町に明治8年に「跡見学校」を開校したことからはじまり、知育だけでなく情操教育にも重きを置いた、跡見独自の教育方針を確立しました。1913年に「財団法人跡見女学校」となり、その後1944年に「跡見高等女学校」を設立。
1858(安政5)年 | 大阪にて私塾を開く |
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1875(明治8)年 |
神田猿楽町において、跡見学校開校式
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1885(明治18)年 | 米国ワットソン夫人を招いて英語教育を始める |
1888(明治21)年 |
小石川柳町の新校舎落成式ならびに新築記念祝賀式
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1909(明治42)年 | 創立35周年記念ならびに跡見花蹊古稀祝賀会 |
1913(大正2)年 |
新校舎落成式 財団法人跡見女学校設立認可
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1919(大正8)年 | 跡見花蹊校長辞任、跡見李子二代目校長となる |
1925(大正14)年 | 開校50年記念式典 |
1926(大正15)年 | 跡見花蹊逝去、従五位に叙せられる |
1930(昭和5)年 | 洋装校服制定 |
1932(昭和7)年 | 大塚新校舎に移転 |
1934(昭和9)年 | 創立60周年記念式典 |
1944(昭和19)年 | 跡見女学校廃止、跡見高等女学校発足 |
1945(昭和20)年 | 東京大空襲により、校舎のほとんどが焼失 |
1947(昭和22)年 | 学制改革により跡見学園中等部設立 |
1948(昭和23)年 | 跡見学園高等学校設置認可 |
1950(昭和25)年 |
創立75周年記念式典 跡見学園中等部を跡見学園中学校に改める
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1951(昭和26)年 | 財団法人跡見高等女学校を学校法人跡見学園に組織変更認可 |
1955(昭和30)年 | 鵜原寮落成式 創立80周年記念式典 |
1956(昭和31)年 | 理事長・学長・校長跡見李子逝去 |
1957(昭和32)年 |
北軽井沢浅間寮落成式
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1965(昭和40)年 | 高等学校2年生、関西修学旅行へ出発 新幹線利用第1号として話題となる 創立90周年記念式典 |
1975(昭和50)年 | 創立100周年記念式典 |
1985(昭和60)年 | 北軽井沢研修所竣工 創立110周年記念式典 |
1990(平成2)年 | 中学校高等学校新校舎竣工 学祖跡見花蹊生誕150年記念式典・祝賀会 |
1995(平成7)年 |
創立120周年記念式典
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2005(平成17)年 | 創立130周年 |
2015(平成27)年 | 創立140周年 |

学園創始者 跡見花蹊 (1840〜1926)年