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ご退職の先生


山田 昭子

皆様方、若い学生さん達のエネルギーを頂きながら楽しく跡見短大にお世話になりました。 物を創造するという事は、先づ、「心を開放することがから始まる」を、モットーに、確かこれは、久保貞次郎先生の受け売りですが、

物を創ることへの工程を経て実践し、完成させることは、人間形成に大変良い影響を与えると、私は信じている。 今まで行って来たことは、非常に良かったと私は信じている。皆様はいかがでしたか。

気がついたら、もう学校へ行かなくてもよくなりました。 自分自身の区切りのため三月に古典をいたしました。 テーマは、「風」・原点は、たんぽぽの綿毛のつもり、プラス諸々の要素が含まれています。

これからは、少しずつ創作して生きたいと思っております。 お元気でお過ごしくださいませ。

(彫刻担当)


思い出すままに

橋本 孝

年の過ぎるのは本当に早いと、思います。 今思い起こしてみますと、ドイツへ行きたいといって留学し、現地で結婚され、幸せにしておられる学生さんもいました。 そんな学生さん、皆さん元気でいらっしゃることと、思います。 単位が取れずに大変だった学生さんが出るたびに、私の心は痛みました。 でもそれもよい思い出です。

跡見学園女子大学短期大学部(当時は短期大学)に非常勤講師としてお世話になったのが、今から14年前で、その時は丁度ヴュルツブルク大学での客員教授の仕事が終わり、日本へ帰国したばかりでした。 本務校の仕事もありましたが、週一度行く東京での授業は楽しみでした。

その頃は、学生たちも、もっとドイツ語に振り向いてくれたように、思います。 ドイツが統一し、何かと新しいニュースが新聞にも載っていたからです。 そのブームが終わると、急速にドイツへの関心が薄れ、ワールドカップでドイツが準優勝した年にちょっぴりドイツへの関心が高まったようでした。 でも、ドイツへの関心は薄れていくばかりでした。

そんな中で、『本当は恐ろしいグリム童話』がでて、何でも童話や昔話は恐ろしくて、残酷だというのが、日本国中を駆け巡り、腹立たしい思いをしたものです。 なぜなら、この本は売れたかもしれませんが、それによって、童話や昔話を敬遠する人々は増え、人類の先祖が残してくれたこれらの貴重な財産を、若い人が読まなくなったからです。 そこで、原点に返って、グリム兄弟を見直そうと、私は『グリム兄弟とその時代』を著しました。 多くの新聞の書評で取り上げられましたが、しかし、グリム童話が読まれるようになったとも聞きませんでしたから、少しがっかりしていました。 そんな時、ドイツ連邦共和国から、グリム研究と文化交流に尽くしたというので、昨年ドイツ連邦共和国文化功労十字章を頂くことになりました。 大変光栄なことですが、グリム童話が日本でもっと読まれなければと、いう思いが日増しに募っております。 また、グリム兄弟は童話だけでなく、言語や文学、社会、文化に大きく貢献しています。 目下私は比較文化論を他の大学で教えていますが、このように比較言語学、比較文学ひいては比較文化学をやったグリム兄弟の研究の広さに、日々新しい発見をしています。

只、残念なのは、昨今の大学再編成や改革で、昨年は跡見女子大学(短期大学部)ではドイツ語の専任の先生が退職され、ドイツ語などの第二外国語がなくなり、私などの出番が少なくなってしまいました。 残念ですが、これも世の趨勢かと、こころに言い聞かせています。

来年は「日本におけるドイツ年」、その翌年はドイツでのワールドカップ、どうか日本がもっとドイツやヨーロッパに目を向ける日が来るのを待っています。 私なりにそれに向け頑張っています。

思い出はつきませんね。 よい思い出を頂、本当に長い間ありがとう御座いました。 卒業生の会である桃李の会のますますのご発展をお祈り申し上げます。

(ドイツ語担当)

橋本孝先生「ドイツ勲章」受賞 ―グリム兄弟作品の普及に貢献―


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