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収蔵品・刊行物のご案内

収蔵品のご案内

主な収蔵品をご案内します。

四季花卉図

ひときわ大きい芍薬(しゃくやく)を中心に、四季折々の花卉を色彩豊かに表現している。芍薬の左下には、薔薇(ばら)と瞿麦(なでしこ)。芍薬の上には蔦(つた)の葉と朝顔(あさがお)、芙蓉(ふよう)が白い花をのぞかせ、紫苑(しおん)、南天(なんてん)が描かれる。芍薬の右と下には寒菊(かんぎく)と雪下(ゆきのした)。右の一角は桜花で、添うように紫の藤が花房を垂らす。画賛にも四季の花に桜を加え工夫したと書き添え、その配置の巧みさには10代の頃に学んだ円山派の技法が生かされている。

この作品を描いた時、花蹊は38歳。跡見学校を開き、画家としての評価も高まっている頃である。若々しい息吹と意気込みが伝わる華麗な作品である。

秋虫瓜蔬図

菜園の情景を円山派の画法で描いた作品である。登場する野菜類は、糸瓜(へちま)、南瓜(かぼちゃ)、紫茄(なすび)、鬼灯(ほおずき)、玉蜀黍(もろこし)で、胡蝶(こちょう)、寒蝉(ひぐらし)、螽斯(きりぎりす)、絡緯(くつわむし)、蜻蛉(とんぼ)、蝸牛(かたつむり)、蟷螂(かまきり)、蚊などの秋の虫とともに描かれている。自画賛によれば、この絵を見た客人が、「どのような手本を見てこれを描いたのか、明のものか、清のものか、それともわが国の元禄時代の作家のものか」と尋ねたところ、花蹊は笑いながら菜園を指差し、「私の手本はここにある」と答えたという。

この作品は農商務省主催第一回内国絵画共進会に出品された「野蔬類」と同一作品と考えられ、画家としての技量を感じさせる力作である。

秋草図屏風

身近な草花を題材に描いた跡見花蹊66歳の時の大作である。葉の色も鮮やかに大輪の花を咲かせる芙蓉(ふよう)を中心に、藤袴(ふじばかま)と女郎花(おみなえし)がこれを包み込むように弧を描いている。藤袴の周りには薄(すすき)と撫子(なでしこ)が配置され画面に広がりを与えている。一方画面右側は芙蓉に向かい葛(くず)が花を伸ばし、鶏頭(けいとう)と桔梗(ききょう)が奥行きを形づくっている。この作品では通常秋の七草で数えられる萩を省略し、白い花―芙蓉と赤い花―鶏頭を加え、彩り豊かに表現している。跡見花蹊は屏風の持つ効果を熟知していた。芙蓉を手前に、藤袴と葛が後方からせり出す独特の立体感は、非対称な構図の妙と相まって、観る者を秋の風景の中に誘う。ここには枝をゆら草をさざまかせる秋風も存在している。しみじみとした情感あふれる空間である。

朱文公勧学文

大正5(1916)年は、跡見学園にとって更なる充実と発展の時期であった。大正2(1913)年に財団法人跡見女学校の設立が認可され、同4年に制定された紫紺色の着物に紫袴姿の在学生は700名を数えたという。花蹊はこのとき77歳、同5年5月8日に喜寿祝賀会が大講堂で催された。その祝賀会の返礼として、花蹊が学園に寄贈したのがこの作品である。多くの生徒たちの更なる精進を願い制作されたものである。表装には桝目の中に寿文字の入った花蹊愛用の羽織の裏地を用いており、作品に対する思い入れを感じさせる。花蹊の漢学の教養と、堂々たる筆跡が融合したこの作品は、強い信念を持ち教育の道を邁進した花蹊の姿をしのばせる記念碑的作品である。

八十自寿詩

手に金卮を把り喜びを禁ぜず
五千の弟子漸く林を成す
老来自ら哂う猶お勤苦するを
又是れ園葵日に向うの心
大正八年第一月八十自壽 花蹊女史

80歳を迎え、その喜びを七言絶句で表現した作品である。創立45周年を迎え跡見女学校と改称したこの年、花蹊は李子に校長を譲り、名誉校長となって指導にあたった。80歳記念の宴には、学園関係者をはじめ来賓に大隈重信、渋沢栄一らも出席した。まさに花蹊、学園にとっても節目となった年であった。八十自寿詩には、花蹊の尽きることのない教育への情熱が感じられるだけでなく、これまでの人生に思いを馳せ、感慨深く筆をとる姿が眼に浮かぶ佳作である。

浄土三部妙典

『浄土三部妙典 全』と題された美しい秩に、「佛説阿弥陀経」「佛説観無量寿経」「佛説無量寿経上」「佛説無量寿経下」の4本の折本が収められている。作品の奥書によると明治43(1910)年から大正(1914)3年にかけて完成したもので、同じく写経作品である『法華経妙典』後まもなく取りかかったものと考えられる。文字は丹精な楷書体で、『法華経妙典』と同様に高い集中力と意志の強さを感じさせる。花蹊がこの時70歳代だったことを考えると、まさに驚くべきことである。これら一連の作品は単なる写経集ではない。花蹊自身はおそらく認識してはいなかったであろうが、花蹊の豊かな知性と経験が結実し、深い精神性に満ちている。明治45(1912)年には勲六等宝冠章を受け、大正2(1913)年には財団法人跡見女学校設立認可を受けるなど女子教育に関して社会的に評価された頃、忙しい日々の合間を縫って花蹊が自らのため、真摯な姿勢で経と対峙し生み出した代表的作品である。

詠草

『詠草』とは、和歌、俳句などの草稿のこと。表紙に「詠草 花蹊」とだけ記されたこの簡素な冊子は、花蹊の父重敬の詠草とともに平成14年度に寄贈された。全51丁のうち前半31丁に約300首の和歌が書きこまれている。内容としては季節や自然など日常折にふれ感じたことや、東北地方や日光への道中の感動、雑誌社や交流人物たちの催す祝賀会で詠んだものなどから成る。特に祝いの席での和歌は「某」氏宛に複数用意し、色紙などを依頼された際にはここから適宜選び出し、詞書や画を添え、贈っていたと考えられる。花蹊は学園関係をはじめ多くの人々から揮毫を依頼されることも多かったので、常日頃から準備していたのであろう。草稿ながら、誤字や訂正箇所がほとんど無く流麗にしたためられているため、直筆の歌集とでも言いたくなるほどの独特の魅力を持っている。詠草は花蹊の創作活動を知る上で重要であると同時に、作品の源泉としても非常に興味深い資料である。

跡見花蹊像

明治45(1912)年跡見花蹊の叙勲(勲六等宝冠章)を記念し、校友会が黒田清輝に制作を依頼した。第九回文部省美術展覧会へ出陳された後、跡見女学校に納められた。

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