おとずれ33 目次 / ご挨拶 / イベント / 支部会 / クラス会 / 紫音会・生芸卒制展・バザー報告

学長就任の挨拶

学長 嶋田英誠

ご承知の通り、いま日本の大学及び短期大学(以下、「大学」と言います。)は未曾有の危機を迎えています。 限りない少子化が進むのに伴い、ちょうど今年の学生募集から、世は大学全入時代に突入します。 大学への進学を希望する者の数と、全国の大学の入学定員の合計数が等しくなり、誰でも希望しさえすれば、皆がどこかしらの大学へ入学できることになります。 大学は、学生を「選ぶ」主体から、学生によって「選ばれる」客体へと立場が変り、「選ばれない」大学は学生が集まらず、経営困難に陥る大学が出ることが必至になりました。 この状況を大学の「競争的環境」と呼びますが、実態は必死のサバイバルゲームです。 数年前の銀行業界を思い出してみると、想像ができるかもしれません。 現に、首都圏以外では学校法人の解散・合併が始まりました。

「選ばれる」側に回った大学は、社会からの要請に応える必要が生まれました。 社会は何を大学に求めているのでしょうか。 全入時代のもうひとつの側面は、大学の「ユニバーサル化」です。 半世紀前に十パーセント程度だった大学進学率は、いまでは五十パーセントに近づいています。 このような時代には、大学の使命は教養教育や研究者の養成にとどまりません。 普通の社会人の育成、それが大学の重要な役割です。 いま大学は、最高学府としての孤高の存在(多面、象牙の塔とも揶揄された閉鎖的な存在)から、広く社会に開かれた存在へ、大きな転換を迫られています。

跡見学園では、およそ十年前になる平成九年から、学園の高等教育の将来を模索するプロジェクトチームを組織し、二十一世紀の大学のあり方を検討してきました。 その三次にわたった答申に基づきながら、大学では過去数年間周到な準備の下に、概略次のような改革を行ってきました。

女子大学
平成十一年
文学部四学科に新カリキュラムを実施
附属教育研究施設として、マルチメディア教育センターを設置

平成十四年
文学部四学科を統合して、人文学科に改組
文学部に臨床心理学科を設置
マネジメント学部マネジメント学科を設置
附属教育研究施設として、全学共通科目運営センター・情報メディアセンター・心理教育相談所を設置
事務組織を改編、教務部・学生部を学務部に統合、就職部を設置

平成十七年
大学院人文科学研究科(日本文化専攻・臨床心理学専攻)を設置

平成十八年
文学部にコミュニケーション文化学科を設置
マネジメント学部に生活環境マネジメント学科を設置
大学院マネジメント研究科(マネジメント専攻)を設置
大学院人文科学研究科臨床心理学専攻、日本臨床心理士資格認定協会より第一種指定大学院の指定を受ける
事務組織を改編、学部事務室・全学共通科目運営センター(事務組織)を設置

短期大学部
平成十四年
臨定返上、三学科二専攻の学生定員再配分

平成十六年
三学科二専攻の一部名称変更、学生定員再配分、カリキュラム改訂

平成十八年
三学科二専攻の学生募集停止

平成十四年の改革が、大学教育の理念について大きく転換を図るものであったこと、平成十八年つまり今年の改革が、跡見学園の高等教育の総合的な統合を目指すものであることが、ご理解いただけると思います。 すなわち、短期大学部が教育機関として持つさまざまな資産を再編成して大学に統合し、総合的な大学を作ることです。

およそ教育機関が持つ資産とは、次の四つであろうと思います。 つまり、学問分野、教員、学生定員、そしてキャンパスでえす。 まず短期大学部が持っていた三学科二専攻にわたる学問分野は、主として新設のコミュニケーション文化学科及び生活環境マネジメント学科が継承し、一部は既存の学科が継承します。 専任教員は、今年から来年にかけて、全員が大学に移ります。 学生定員は、既に募集停止した人数枠を、大学の新しい二学科で受け取りました。 残るは茗荷谷キャンパスの利用ですが、現在の西館は改築した上で、平成十八年度生(今年の大学一年生です)から、三四年生の時には茗荷谷で学ぶことになりました。

以上、学部学科の改編を軸として、跡見学園の現状と課題を説明しました。 我が跡見学園女子大学短期大学部は、このさき在学生の卒業・離学を待って、閉学します。 しかしご説明したとおり、短期大学部(学問分野・教員・学生定員・キャンパス)は、新しい女子大学の一部として再生します。 短期大学という看板は下しますが、卒業生の皆さんを育てた跡見の教育は、女子大学の中に生き続けます。 新設のコミュニケーション文化学科・生活環境マネジメント学科の新入生たちは、いわば皆さんの後輩です。 今後とも、今までに変わらぬ愛情とご支援を、母校である跡見学園に賜りますよう、お願いいたします。

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学長退任の挨拶

常務理事 山崎一穎

(1) 短期大学部の再生に向けて
短期大学部長としては三カ年間の在任でしたが、私自身貴重な経験をさせていただきました。 私の任務は二十一世紀を生きる跡見学園の高等教育のあり方として、短期大学部と大学との連携の具体的な形を創出することでした。 社会情勢や短期大学の現状分析から、短期大学の教育資源を基盤に新しい時代の要請する大学の学問分野を構築することで、短期大学と大学との接合以外ないとの結論に達しました。

具体的には、女子大学の文学部に「コミュニケーション文化学科」(入学定員九〇名)と、マネジメント学部に「生活環境マネジメント学科」(入学定員八〇名)を今年四月から開学しました。

ここに至るまで計画の概要を平成十六年五月の桃李の会の幹事総会席上で説明した折、幹事のお一人から先生方の雇用に配慮をいただきたいとの発言があり、学長として重く受け止めました。 近年短大改革によって、解雇、系列の高校へ転出、職員に身分変更という実例を知っているだけに苦慮した次第です。

「コミュニケーション文化学科」には、短期大学部の言語文化科(日本語、英語専攻)、生活芸術科の先生方、「生活環境マネジメント学科」には、家政科、生活芸術科の先生方を移籍し、そこに女子大学の先生方を配置して新学科を創出し文部科学省の承認を得ました。

しかし、五十有余年の伝統を持つ短期大学を閉じることは、卒業生にとって堪え難いことであると思います。 学長として桃李の会から選出されている理事、評議員のみなさん、常任幹事のみなさん、在校生、在校生の保護者、短大選出の後援会の幹事の方々と話し合いました。 どなたも閉学が良いとは思ってはいないはずです。 個人の思いよりも、学園全体という大局的立場に立って現状をご理解いただきましたことを感謝いたしております。

大学と短期大学の学長を兼ねて双方を見ると、短期大学部の教職員の学生に対するきめこまやかさに感心いたします。 このような雰囲気の中で卒業して行かれたことを思い、桃李の会の幹事の方々や支部の皆さん方とお話しができる機会を持てましたことをうれしく思っています。 特に名古屋支部へ二回、関西支部へ一回伺い、支部のみなさん方の母校に寄せる熱い思いを受け止めて帰校いたしました。 また、支部のみなさん方の気配りや気働きに跡見教育の良さを実感しております。

私は跡見短大と大学の一体化による高等教育の再編成の過程で、従来の跡見教育(特に徳育面)の良さをどう教育課程の中に具現化するかが、一番の問題点でした。 私学は建学の精神が大切であるとは、各私立短大、大学の理事長、学長は言います。 入学式や卒業式や様々な式典の折の式辞の中で言及することはあっても、教育課程の中に組み込み、単位化し、卒業するための必修要件とした大学はどこにもありません。 高等教育はどうしても知識に片寄りがちです。 跡見花蹊、李子先生が跡見女学校で良しとし、高等女学校にすることにぎりぎりまで抵抗したのは、知に偏重する高等女学校の教育課程を肯定できなかったからではないでしょうか。

短期大学部の資源を活用して十八年四月から新学科を開学すると同時に、大学の教育課程の中に「社会人形成科目」を設置しました。 この科目は伝統の跡見教育の良さを体して、自律し、自立した大人の女性として卒業していくための科目です。 一年生全員必修科目です。 具体的に示します。

春学期秋学期
花蹊の教育と女性の生き方ライフデザイン
ソーシャルマナーソーシャルマナー
「花蹊の教育と女性の生き方」は山崎が担当し、「ライフデザイン」はマネジメント学部教授で就職部長の芝原教授が担当しています。 眼目は「ソーシャルマナー」にあります。 日本航空の客室乗務員の要請をしているジャルアカデミイの先生方が講師として教育にあたっています。 私など改めて司馬遷の『史記』の「李将軍伝」を読み「花蹊」号の由来、「不言亭」や「成蹊館」の意味を授業で教え、大学の正面ロータリに「桜」「桃」「李」の木が植えられている所以から語っています。

この「社会人形成科目」の成果はすぐには出ないかもしれませんが、5年後、10年後跡見教育のバックボーンとなることを信じています。

(2) 昨今思うこと
最近親が子を殺し、子が親を殺すという凄惨な事件が頻発しています。 また幼児を虐待する事件も多発しています。 親は躾のためと言い訳するのが常です。

昔は七歳までは<神の子>として育ててきたはずです。 そのために七五三のお祝いをしてきたのです。 七歳のお祝いが終われば<人の子>として歩み始めます。 若いお母様方が七五三のお祝いの時、子供たちにこんなお話をしてくださると良いのですが。

また、昨今の凄絶な事件の報道に接するたびに、私は森鴎外の「道徳統計」という言葉を思い出します。

鴎外は明治三十二年(一八九九)六月、東京の近衛師団軍医部長から九州小倉の第十二師団軍医部長に転出を命じられます。 鴎外は左遷だと受け止めています。

三十三年(一九〇〇年)十二月に事件が起こりました。 見習士官が薬物中毒に罹り、当直軍医に来診を求めたが、院内勤務の義務があるという理由で拒否されました。 他の軍医に依頼したのですが、(1)高級軍医という身分は規約上応じなければならない理由はないこと。 (2)病院の当直で職場を離れられないこと。 (3)病気という理由で拒絶されました。 結局見習士官は死亡しました。 軍医の怠慢不親切という非難が起きました。 今日でも患者を病院が盥回しをし、その結果患者が死亡するという事件を耳にします。

鴎外は臨時軍医部会議を開き、口演します。 鴎外は軍医は法律上誤りは犯してはいないが、道徳上から考えたといって、「法と道徳」という問題を提起します。 鴎外は「道徳統計」があると言います。 自殺者、他殺者の数の統計です。 自殺者や他殺者の多い国は、不健全国家であり、道徳の低い国家であるといつてよいと言います。 軍医の行為も、この道徳統計によれば不健全であると言い切ります。

教育の現場から心すべき事と思っています。

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「桃李の会」のこれから

幹事長 萬葉洋子

桃李の会の皆様、お変わりなくお過ごしの事と存じます。 以前より皆様にご報告しておりましたように、平成十九年三月二十日には最後の卒業生となる五十六期生を送り出す事となります。

桃李の会を愛する卒業生の皆様には、今後の行く末についていろいろと危惧され、ご意見もたくさんおありと思いますが、今年五月十三日に行われた総会での数々のご意見を報告いたします。 皆様が一番気になる点は、やはり卒業生からの入会金が断たれた後にどこまで今まで通りの活動が続けられるかという事ではないでしょうか。 その件に関しては、まず従来通り会室には常任幹事が週二回在室し、住所変更等の事務に務めております。 毎年の「おとずれ」発行やイベント開催、各支部会への参加、その他本部校友会や後援会主催の行事への参加は以前と変わりなく行えますが、残念ながら「バザー」は短大と共に今年が最後となってしまいます。 総会当日に出席いただいた方々には当面五年間を目処に会の運営を見守っていただく事を約束いたしました。

今後は支部への女性も今まで以上に支援できるように見直し、本部とのきずなを強くして、各支部の活動に協力を惜しみません。 以上はソフト面でのご報告ですが、次はハード面の変化について報告します。

私達の思い出がたくさん詰まった短大後者西館が来年三月三十一日をもって建て替わる事です。 新校舎には大学院、マネジメント学科が置かれ、近い将来には女子大の三、四年生が茗荷谷キャンパスに移ります。 それにともない四十年以上過ごした東館二階の桃李の会会室を引越す事になりました。 今後は法人棟四階の会室に移ります。 この会室は学園のご好意により以前より広く改装していただきました。 来年四月以降の来訪は、法人棟四階に起こし下さい。

さてなつかしの短大校舎とのお別れ会「ホームカミングデー」を十一月十二日(日)に短大主催で行います。 当日はお世話になった先生方にお目にかかったり、思い出がたくさん詰まった教室に仲良しだったお友達と共に最後のお別れをしてはいかがですか。 短大の先生方も桃李の会常任幹事も心より多くの卒業生の皆様の来校をお待ちしています。 きっと、十九、二十才に戻り楽しかったあの頃が蘇り素敵な時間を過ごせると思います。 当日、いらした方には学校からも桃李の会からも特製のプレゼントを用意しております。 おたのしみに!

平成十九年四月からは母体となる短大は校舎と共に消えてしまいますが、二万七千人以上の卒業生は健在です。 私達常任幹事一同、卒業生の皆様に今まで通り茗荷谷よりいろいろなニュースを発信して行きますので、どうぞ皆様もしっかり受信して下さい。 よろしくお願いいたします。

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