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文京キャンパスオープンに際して

理事長 跡見 純弘

去る九月六日、元短期大学部西館取り壊し跡地に女子大学教室棟(地上九階地下一階)が完成し、女子大学の文京キャンパスオープンのセレモニーが執り行われました。

此処に至る迄取り進めて来た女子大学の改革、改善を振り返ってみたいと思います。
私が学園理事長に就任したのは今から二十一年前の一九八七年でした。その年の七月理事会に於いて平成二年の花蹊生誕一五〇年を記念した学園全体の将来構想を発表しました。 そして先ず中高校舎・体育館のリニューアルから着手しましたが、此処では中高は除き跡見学園高等教育の主としてハード面の改善、改革について時系列的に述べてみたいと思います。

大学施設で最初に取り組んだのは学生寮の建設でした。寮は一五〇年記念事業計画には入って居りませんでしたが、従来校内にあったものを校外の地主の自己所有地に建設して貰い、長期入居保証という形で約一三〇名収容可能の学生寮を平成二年九月に完成致しました。

計画の中で大学施設として最初に着手したのが図書館で平成四年に開館する事が出来ました。 更に引続き平成五年六月には大学研究室棟を完成。平成七年十一月には研究室棟内に花蹊記念資料館を開館。平成八年十二月埼玉県教育委員会より博物館相当施設として認可されました。

ハード面の充実と同時にソフト面でも種々検討の結果文学部のみの単科大学では現在の環境下で生き残りは出来ぬとの危機感から女子大学としては我が国初の社会科学系学部を新設することとしマネジメント学部を設け、平成十四年学部棟を新築し従来の単科大学から総合大学へと発展させました。 一方短期大学は入学応募者の激減等環境の大きな変化から文化系では将来の生き残りは不可能と判断し、平成七年女子大学短期大学部と名称変更し、女子大学に統合、平成十八年に新しい学科 コミュニケーション文科学科、生活環境マネジメント学科として発足させました。 同時に平成十八年には学生募集停止し、五十七年に及ぶ歴史を閉じるに到りました。理由はどうであれ誠に残念な事と云わざるを得ません。 短期大学部の閉学に伴い西館を取壊し、女子大学の三、四年生を受入れる為、新しい校舎を建築する事とし、平成二十年九月予定通り新棟は完成致しました。

之によって文京キャンパスがスタート。都心に拠点を持つ事が出来、前述総合大学への移行実現もあり永年の夢が実現し学園にとっては大きな競争力を持つ事が出来たものと思って居ります。 文京キャンパス新校舎の完成を以って記念事業の目標は一応達成されましたが、学祖花蹊先生を記念した施設として花蹊記念資料館及び花蹊メモリアルホールがあります。

しかる処花蹊先生を補佐し且つ生涯を女子教育に捧げ跡見の名を今日まで維持発展させた二代目跡見李子先生の功績は極めて大きいものと思います。 そこで仝先生の功績を称え跡見小講堂を「跡見李子記念講堂」と呼称する事と致し、十一月初めに理事会、評議委員会に報告し御了解を頂きました。 現状は以上の通りですが学園の改革改善は尚引続き検討を続けて居り其の概要は文学部人文学科の定員を減じ、それを原資とし文学部に現代文化表現学科、マネジメント学部に観光マネジメント学科を設けるものですでに文部科学省との事前打ち合わせも済ませて居ります。 環境の変化に対応しながらも改革の努力は引続き求められますが、桃李の会をはじめ校友会の皆様の一層のご理解とご協力をお願い申し上げます。

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跡見女子大学「茗荷谷キャンパス」落成おめでとうございます!

幹事長 萬葉 洋子

卒業生の皆様お変わりなくお健やかにお過ごしの事と存じます。

早いもので二千人余りの卒業生が集合した「ホームカミングデー」から二年、最後の五十六期卒業生を送り出してから一年八ヶ月が過ぎてしまいました。 その間、茗荷谷のあの地に新校舎が建ち上がりました。九月六日には、多くの著名な先生方をお招きした竣工式が盛大に開催されました。

跡見女子大学の「茗荷谷キャンパス」は、短期大学の「歴史と伝統」のイメージを一新し、それはそれは超近代的な二十一世紀のモダンな建築物で、「新生跡見学園」の誕生となりました。
しかしながらいつの時代になっても百三十余年にわたる、開祖、花蹊先生の精神を受け継いでくれることを心より念じます。 短大が閉学になり多くの卒業生が寂しさを感じましたが、これも跡見学園の末永い発展の礎になった事と信じております。

平成十九年の「おとずれ三十四号」で桃李の会総会のアンケートをお願いした結果多くの卒業生の皆様から出席の回答をいただき、平成二十一年八月一日(土)、ホテルニューオータニ「鳳凰の間」にて、初めての総会をかねた同窓会を開く事が決定しました。 詳細は本誌七ページをご参照ください。

来年は桃李の会創立六十周年にあたりますので皆様とご一緒に祝したいと思います。奮ってご出席ください。

今回は桃李の会の活動のひとつである各支部会参加の報告をいたします。

毎年恒例になっているのは初夏に開催する名古屋支部会。 例年は愛知、岐阜、三重、和歌山の四県の皆様にご案内状を出しておりましたが、今回の幹事さんであるU.R(三十文)さんに無理をいい中部地域(一九四名 平成二十年現在)の二倍以上の卒業生を抱えている静岡県(四一八名)を仲間入りしていただき、豊田市にて合同支部会が実現しました。静岡県の方々も突然の案内状に戸惑いを感じたかと思いますが、八名の方に出席していただきこれが恒例になることを願っております。

また、十数年ご無沙汰しておりました福岡・佐賀支部会が十月六日、福岡市にて開かれました。 こちらも幹事さんのY.K(十四生)さんに甘え、熊本支部の仲間入りをお願いし、今年は一名のご出席でしたが、来年はお友達との出席を約束してくださいました。

十一月六日には名古屋支部会と並ぶ三十六回目の関西支部会が滋賀県の米原市で開かれ、嶋田学長先生に初めてご出席いただけました。

あの懐かしい校舎はなくなりましたが、今だなお二万八千人の会員を抱える大所帯の桃李の会です。 この卒業生達が日本全国で楽しいひとときをわかちあえるよう、常任幹事が東京より見守り協力をおしみません。

北海道、東北地方とここ数年支部会を開いていない地域の方々は思いきって開いてみてください。 それには手始めに来年の第一回同窓会に出席してみませんか。 これをきっかけに桃李の会の輪が広がり、いつまでも続くことを希望します。

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会長就任のご挨拶

7文 山下 陽枝

このたび、皆様のご推挙を頂きまして、跡見校友会の会長の任を仰せつかりました。 なにぶんにも慣れないお役目でございますので前会長O様のように、万事スムーズに行かないこともあるとおもいます。 O様におかれましては、校友会会長として長い間、ご尽力いただきましてありがとうございました。 今後ともご指導くださいます様お願いいたします。 跡見校友会は、現在では、泉会、桃李の会、一紫会と三会を擁し、東京だけでなく、各都道府県にもたくさんの支部ができました。 このような組織をまとめていくということは、私の能力にとりましては、過ぎたるものと言わざるを得ません。 しかし、私は中学、高校、短大と跡見学園でお世話になりました。これまで長く生きてきて、つくづく思うことは、卒業生ということに誇りを持ち、また仲間にもたくさん助けられました。

私も古希を過ぎました。この辺で学園に、何か恩返しができないものかと考えていましたところ、校友会の会長にというお話がありました。 校友会は、卒業生を結集して跡見の伝統を今に引き継ぐとともに、学園を盛りたてるという大きな役割を持っています。 微力ながら皆様のお力をおかりして、一所懸命務めたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。 今、日本の社会は、世界で最も少子化の進んだ国になりました。 合計特殊出生率は、過去三十年間、人口を維持するのに必要な水準を下回ったまま一貫して下がり続け、この流れは変わる気配がありません。 このような状況は、私学の環境にとって非常に厳しいものがあります。 これを乗り切るためには、経営基盤の安定、学習環境の改善、教育研究の充実等が不可欠であり、学園もその例外ではありません。 短期大学部を学園の女子高等教育の更なる発展のために廃止し、その教育資源を女子大学と一体的に活用するというのも、その一つのあらわれだとおもいます。 校友会は、こういうことにも関心をもちながら、学園との絆を深めることが今後ますます必要になってくるのではないかと思います。 三会は、それぞれ異った歴史をたどっておりますので引き継ぐ伝統も多少違うところがあるかもしれません。 しかし、学園の隆盛を願う気持ちは、一緒のはずです。 毛利元就の「三本の矢」という話があります。毛利元就が三人の子どもたちに、「矢一本なら一人の力で折ることができるが、三本となったときはなかなか折れない。このように三人が力を合わせなければいけない」と教えたという有名な話です。 校友会も同じです。 三会がよく連携をとり力を合わせる事がまず大切です。 これができれば校友会の力は、三でなく四にも五にもなります。 私はこの連結ピンになれればと思っております。

最後になりますが、皆様のご発展とご健勝を心から、ご祈念いたしまして、会長就任のご挨拶とさせていただきます。

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恩師は今

元家政科教授 伊藤 千恵子(旧姓 関)

ごきげんよう。 ご無沙汰をいたしておりますが、皆様いかがおすごしでしょうか。 お元気でご活躍でいらしたならと願うのみです。

私はお蔭様で平穏な日々を恙なく送っております。唯困るのは、老いと云う自覚が薄弱で失敗が多いのです。 熟年のつもりの傲慢さに、ハッとする瞬間はしばしば。車中で席を譲られた時なども然り、びっくりして礼を失してしまうのです。 そればかりか、にくまれ口の負け惜しみ“見えない姿もみてね”などと呟いてしまうのです。

それにしても、この頃よく考える事、それは八十年余年も生を受けた中での人との出会いです。此の方どれ程の人に出会った事でしょう。 出会いを通して作られた“時”は、確かに大切な自分の足跡です。 ゆるせる人、ゆるせない人、どんな出会いも大きな実りになっているのです。 みんな私を育ててくれた人々でした。感謝。

賢者は年をとる程、輝くとか聞いています。勇気を貰う言葉です。凡人でも、ちょっぴりなら肖れるでしょうか。 趣味や家事に暇をつぶす間でも、時としてそんな事を考えます。 そして常に祈ること。 それは平和な幕引きです。

殊のほか、右往左往騒がしい世の中になってしまいました。皆様のよき未来を願って。お大切に。

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