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短期大学部閉学と「桃李の会」の今後について

幹事長 萬葉洋子

「桃李の会」の皆様 お健やかにお過ごしの事と存じます。 今回の「おとずれ」三十二号は、母校を愛する卒業生の皆様にとって悲しく残念なご報告となってしまいました。 昭和二十一年に跡見高等女学校専攻科が設立、同二十五年には跡見学園短期大学が開学し、今年で通算五十九年の歴史を持つ現跡見学園短期大学部は、平成十七年の入学生を最後に新入生の募集停止が決定されました。
これにより平成十九年の三月二十日に卒業される方々が、最後の五十六期卒業生となります。

昭和三十二年に諸先輩方のご尽力により跡見校友会「短大卒業生の会」が発足され、平成七年には短期大学部への移行により会名も「桃李の会」と改め、現在に至りました。 今日あるのは、多くの卒業生のご支援ご協力、そして代々の幹事の方々の跡見を愛する純粋な心とたゆまぬ努力の成果に他なりません。
現在「桃李の会」の活動に携わるものとして今後の方向を考える時に、身の引き締まる思いでいっぱいです。

しかし、短期大学部が廃止となりましても、二万七千人以上の卒業生を抱える「桃李の会」は現在のまま存続することに変わりはありません。
最大の問題点は、年一回発行する「桃李」又は「おとずれ」の費用が会費の多くを占めることです。
最近では宛先不明者の戻りも、常任幹事の努力によりかなり減少し、郵便料金の節約につながっております。 それには皆様のご協力が必要不可欠です。 住所の変更は必ず会にご連絡くださるよう、常々お願いしております。
平成十八年からは、入学時に納付していただいた「桃李の会」終身会費が入らず、今までの貯えで活動していくことになります。
いろいろな考え方があると思いますが、会の運営にあたってはあくまでも幹事のボランティアで成り立っていますので、なごやかな人間関係を基にして私が幹事長を務めさせていただく間は現在のメンバーで続けられたらと願っております。

活動内容については少しずつ改善を試み、時間をかけてよりよい形に移行していこうと思っております。 来年度の総会や「おとずれ」で順次後報告出来ると思いますのでどうか皆様には「桃李の会」から目を離さずご意見、ご希望がございましたらご連絡ください。

平成十九年四月からは新生「桃李の会」として、若い卒業生へと脈々と引きつがれてゆけるよう望みながら進んでいきたいと思っております。 今後とも会員の皆様には、より一層のお力添えを心からお願いいたします。


短期大学の転換 女子大学との一体化をめざして

学長 山崎一穎

私は平成十五年(二〇〇三年)四月短期大学部の学長を兼務することになった時、<ブランド>ということを強く意識しました。 それは、跡見短大が青山学院、学習院短大と並んで<御三家>と呼ばれてきた歴史があるからです。 学校、大学という教育機関において、<ブランド>といわれる要素は三つあり、それがすべて揃った時、<ブランド>校と言えるのではないかと考えています。

<ブランド>の要素の第一は、伝統があることです。 第二は、教育課程が現代社会の要請に応えるようプログラミングされていることです。 第三は、財政基盤がしっかりしていることです。 この三つの要素が揃って初めて、<ブランド>校と言えるのではないかと思っています。

跡見学園は各機関の独立採算制をとっているわけではありませんが、昭和五十七年(一九八二)文科英文専攻を新設して以来、平成十五年(二〇〇三)度までの収支決算を見て愕然としました。 私は十五年度発行の『おとずれ』に短期大学部の累積赤字を一〇.五億と初めて公表しました。 平成に入ってから二カ年間しか黒字がありません。 そのうちの一年は、平成二年(一九九〇)花蹊生誕一五〇周年記念の年に、現在の桃李の会の寄付があって黒字となっています。

財政面から見れば破綻しています。 平成十六年度の収支決算を見れば、大学が二億二千万の黒字、短大が二億の赤字です。 短大と大学とで相殺してしまいます。
なぜ短期大学が赤字続きなのかと言えば、それは人件費に原因があります。 学生納付金<授業料>の九五%を人件費が占めています。 短期大学の設置基準は専任教員二五名であり、生芸や家政の実技系の先生を含めても二八名~三〇名いないです。 跡見は三五、六名で運営してきました。 それが赤字を生み出した要因ですが、当時の学生諸氏は専門分野の違う多くの先生の教えを受けてきたことになります。 卒業生のみなさん方は、跡見短大で学んだことを誇りに思ってよいと思います。

一方、跡見短大の教育課程は、現代社会の要請に適合しているかと言えば、否と答えざるを得ません。 短大の前に立ちはだかっていた専門学校は、今や女子大学の前に立ち塞がっています。 伝統校ほど専門学校の持っているスキルをカリキュラムに取り入れることに躊躇する傾向があります。 かくして資格を出さない教養系の短期大学は学生募集に苦慮しています。 その上、少子化が追い打ちをかけます。 そして、科、専攻を含めば七〇%の短期大学が定員割れを起こしています。 跡見の短大も例外ではありません。

平成十四年(二〇〇二)女子大学で初めてのマネジメント学部を創設した経験から、十五年学長に就任するや教育内容の見直しに着手しました。 短期大学はキャリアサポート体制の確立を中心とした教育課程に全面的見直しをするように指示しました。 「IT教育、英語教育、キャリアデザイン教育(コミュニケーション力、プレゼンテーション・スキル、ライフデザイン)」をキーワードに実学的科目を多彩に配置し、「自律」と「自立」を育成することにいたしました。 そして文科を言語文化科日本語、英語専攻に改称し、言葉のトレーニングを中心に置きました。 さらに、跡見短大の各科、専攻の定員の再配分をし、文部科学省の認可を得ました。

一方、短大部を大学の第三学部に改組する可能性を検討するために、大学内に学部創設準備室を儲け、家政科と生活芸術科を中心とした「ライフデザイン学部」(仮称)を構想し、文部科学省に相談に出かけました。 学部にするための諸条件から、学部創設準備会議は学部の設立を断念し、学科を設立する以外ないという結論に達しました。
ほぼ一年かけて文部科学省との事前相談の結果、短期大学の収容定員(入学定員三四〇名×二=六八〇名)の四分の一、一七〇名を原資として女子大学文学部にコミュニケーション文化学科(入学定員九〇名)を、マネジメント学部に生活環境マネジメント学科(入学定員八〇名)を創設することになりました。
コミュニケーション文化学科は、様々な状況に応じて対応できるコミュニケーション能力を養成します。 母語である日本語を中心として、多文化理解力、他者との共生コミュニケーション能力を養います。 インタビュー・アナウンス、プレゼンテーション、点字、手話等の実践的訓練も行います。
生活環境マネジメント学科は、個人の生活と仮定を中心とするプライベートな領域を環境論的視点で研究し、生活環境をマネジメントする実践的な専門知識や技能を身につけることを眼目としています。 消費生活アドバイザーの資格取得を可能としています。

このような新学科をいつ設立するかの検討に入り、大学のカリキュラム改変の時を考えれば、平成十八年(二〇〇六)か、二十二年(二〇一〇)しかないのです。 短大の教育課程の改革を始めたばかりですから、数年その成果を見定めたいという思いはありますが、執着は不幸を招くことは必定です。 短大の定員充足率、財務状況から考え、二十二年までは待つことが不可能であるとの結論に達しました。 しかも二〇〇九年問題(全入学)が目前に迫っている現実は厳しいものがあります。

跡見学園の高等教育は、大学と短期大学を一体化し、学部教育の充実を早急にはかることが望ましいとの合意を学内的に得ました。
跡見短期大学部は、過去の栄光と伝統を守るために、まだ余力のある今、閉学に向けて平成十八年(二〇〇六)四月一日付で学生募集を停止することを理事会は決定し、十七年四月五日文部科学省へ文書で報告いたしました。 このことの意味は、順調にいけば平成十九年(二〇〇七)三月卒業生を送り出して閉学となります。

平成十七年六月二八日マネジメント研究科(大学院修士課程)の申請を文部科学省へ提出しました。 研究科は茗荷谷の短大キャンパスで行います。 十九年四月から一年間かけて短大の西館を改修し、二十年(二〇〇八)四月からマネジメント学部の三年生が移ってきます。 茗荷谷のキャンパスは、マネジメント学部の三、四年生と大学院の学生の学修の場となります。 このような経過を経て、短期大学部は跡見学園の高等教育の一翼を担う形で再生をはかることになります。 ご理解ご協力を願い上げます。


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