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学長就任の挨拶

学長 山崎 一穎

跡見学園の理事会は学園の高等教育の組織の一元化のために、女子大学の学長が短期大学部の学長を兼務することを決定し、文部科学省の認可を得ました。 女子大学の学長である小職が、今年四月一日付で短期大学部の学長を兼務し、毎週原則として火曜日、木曜日短期大学部で執務をしています。

桃李の会のみなさんに改めてご挨拶を申し上げます。 山崎一穎(やまざきかずひで)と申します。 一九三八年九月長野県中野市で生まれ、上諏訪で小学校を過し、中学以降は父の郷里(千葉県館山市)で高校を卒業し、早大を出て、昼は早大大学院で学び、夜は千葉県立船橋高校の定時制の専任教員として八年間勤め、一九七〇年跡見学園女子大学の国文学科の専任講師に就任し、日本の近代文学を講じてきました。 主として森鴎外を研究の対象としています。 鴎外の生誕地島根県津和野の森鴎外記念館の常設展示の監修をし、現在運営協議会の会長を務めております。

一九七八年から八九年まで女子大学の学長を務め、九八年再び学長に就任し、新学部、新学科の設立、文学部の改組をはかり、今、大学院設立の準備を進めております。 任期は二〇〇六年三月までですので、三年間短期大学部の学長を務めることになります。

短期大学部の現状は厳しい状況にあります。 短期大学部の収入・支出のバランスシートはこの十数年間で十億五千万の累積赤字を抱えています。 その上、今年度の入試では初めて定員を割るというところまで追い詰められています。

私は学長に就任するや、全教職員一人一人と面談をし、危機意識の共有化に努めることから始めました。 教育現場といえども企業と同じです。 茗荷谷の地価に見合うためにはどれだけの集客力が必要か、教育・管理経費を含めてコスト計算をする必要があると考えています。 このまま負債を放置すれば、学園の他機関も共倒れになること必定です。

公的資金(同窓会からの寄附)導入も無理ですし、企業のように負債部門を切り離すという荒業も出来ないとすれば、どうしたら良いのか頭の痛い毎日です。 座して死を待つわけにはゆかぬという覚悟で学長に就任いたしましたので、よろしくお願いいたします。


山崎一穎先生 やまなし文学賞受賞

平成十四年、第十一回やまなし文学賞の「研究・評論」部門で山崎一穎先生の『森鴎外・歴史文学研究』(平成十四年十月、おうふう刊行、全三七九頁)が受賞されました。

<注記>やまなし文学賞
山梨県が平成四年(一九九二年)小説家の樋口一葉の生誕一二〇周年を記念した文学賞で、小説部門と研究・評論部門に分かれています。

<山崎先生コメント>
平成十四年は一葉生誕一三〇周年、森鴎外生誕一四〇周年にあたります。一葉の『たけくらべ』を絶賛した最初の人は、森鴎外であり、この生誕の節目の年に鴎外研究で受賞したことの奇縁を喜んでいます。

東京での教師生活を切り上げ、郷里益田(島根県)で文化事業に取り組んでいる山根火土志(やまねひとし)氏の山根美神館の創立二十周年に依頼されて、山崎先生が講演を行った。

演題 いま、石見人を問う―鴎外と抱月を偲んで―
平成十五年四月二十日(日)
於 ホテル・サンパレス(益田市)

この講演会のポスターを見た浜田市在住の福郷文子さんは、講師が跡見学園の先生だとわかり、なつかしく講演会に出席した。

福郷文子さんは一九七〇年(昭和四十五年)跡見短大の文科(国文専攻)の卒業で浜田市の善福寺の住職の夫人である。

<山崎先生コメント>
大学・短大の区別なく跡見ということで馳せ参じてくださってうれしく思いました。 「跡見」ということで全ての卒業生が時間・空間を超えて共有できることを望んでいます。


学長退任の挨拶

前学長 臼田 紘

桃李の会会員の皆様にはお元気にお過ごしのことと存じます。 わたくしはこの三月末日をもちまして、短期大学部学長を退任いたしました。 在任中は、皆様からあたたかいご声援ないしはご助言を頂戴いたしましてまことにありがとうございました。 この場をお借りしまして厚く御礼申しあげます。

さて、わたくしが学長に就任しました一九九五年四月から、跡見学園短期大学は跡見学園女子大学短期大学部と名称変更いたしました。 短期大学が女子大学と連携を深め、少子化による十八歳人口減少の時代に備えようということで、田尻嘉信学長のもと一九九三年から検討をはじめ、翌年には教授会で承認され、また校友の皆様にもご賛同をいただき、文部省の承認を得るに至ったわけです。 それは短期大学としては、さまざまな模索の最後に辿り着いたところでした。

皆様からは、わたくしに対して、名称変更してどうだったのかというお訊ねがあるかもしれません。 単位互換、優先編入などにおいて前進し、就職懇談会、進学懇談会などを女子大学と共同で実施するようになり、相互の理解は進み、学園の高等教育機関として女子大学との結束は強まったといってよいでしょう。 このあと、そのさらに先のことを検討すべく、一九九七年には「学園の高等教育の将来像を検討する」プロジェクトチームが発足しました。 ご存知のことと思いますが、このプロジェクトチームは、一昨年、将来的に短期大学部を女子大学の三番目の学部に改組転換するという最終答申を理事長に提出しました。 これは世間の四年制大学志向に応えようとするものであり、学部を増設することにより、女子大学志願者の選択肢を増やすことを目指すものです。 学内では、その後、どのような学部にしたらよいものか、将来構想委員会が検討しているところですが、短期大学のよき伝統を引き継ぐ学部が構想されることを期待したいところです。

この四月からは女子大学の山崎一穎学長が短期大学部の学長を兼任することになりました。 女子大学と短期大学の結びつきは進展し、また短期大学の第三学部化にも弾みがつくのではないかと、わたくしとしても、皆様とともに見守りたいと思っております。


短期大学部長就任にあたって

短期大学部長 大塚 博

昨年七月、短期大学部は、常務理事会から提言のあった女子大学と短期大学部の新しい体制の構築について数次の教授会において審議し、その推進を諒とする結論を得るに至りました。 その結果、女子大学と短期大学部の学長が兼務となること、短期大学部長という役職を新設すること、また、女子大学の意思決定機関である大学評議会に短期大学部も参加すること、等々のことが理事会の決定、文部科学省の認可を経て正式に決まりました。 その後、十二月には短大の教職員の投票によって短期大学部長の選挙が行われ、私がその任に就くことになりました。

校友の皆さんも既にご承知のように、跡見学園短期大学が跡見学園女子大学短期大学部と名称を変更したのは平成七年度からのことでした。 この名称変更は、当時既に短期大学の行く末がかなり厳しくなっていくであろうことが予想される中で、跡見学園の高等教育のあり方を新たにしていく端緒でもありました。 その後、短大はカリキュラム改革に取り組み、学生募集戦略を一段と強化するなど必死に取り組んでまいりましたが、この二、三年は数字の上でも相当に厳しい結果が出るようになってきました。

そうした流れの中で、大学と短大の連携強化、一体化の必要性は焦眉の問題でもありました。 昨年の短期大学部長選挙の際にも申し上げたことですが、今、跡見の高等教育の基盤をさらに固めていく上で是非とも必要なのは、学園としての統合的な視野を持ちつつ、さまざまな領域で短大と大学の一体化を図るなかから、具体的展望を見出し、実現していくことであろうと思います。

こうして、この四月から女子大学の学長でもある山崎学長のもとで、新しい体制が動き始めています。 私自身の短期大学部長という役職もこれまでの短大の歴史になかった全く新しいものです。 まだまだ手探りのことも多く試行錯誤の連続ですが、視野広く今を認識しながら、取り組んでまいりたいと思います。 ご理解とご支援のほどお願い申し上げます。


新たに

新幹事長 16生B 萬葉 洋子

この度、前任の山下陽枝様より幹事長の重責を引き継ぐ事になり、大先輩の歴代幹事長に比べ若輩者の私にとりましても身の引き締まる思いでいっぱいです。

会の運営につきましては、歴代三人の幹事長と共に、8年間の副幹事長としての経験はありますが、今までとは違い「楽しさ」が「慎重」に、「自由」が「責任」の文字へと変わりました。

新たにスタートラインに立つ新人のような緊張した気持ちで運営に取り組んでいきたいと思います。

現在、短期大学部は変革の期にみまわれ、今までにない最大の危機に直面している次第ですので桃李の会常任幹事もその動向が気になるこの頃です。

しかしながら2万5千人以上の卒業生を抱えている会としては、平成18年以降の行く末について、常任幹事20名、力を合わせ出来る限り以前と変わらぬ活動が続けられる方法を考え進めてゆくつもりです。

次に常に行動を共にする二人の副幹事長を紹介いたします。 21期家政科 田中恵美子さんは、私と6年間近くコンビを組み、呼吸ものみ込み、毎年の懇親会の企画担当を受け持っております。 年々参加者をふやしとても力強い右腕となっております。

又、今期より新たにメンバーに加わりました15期家政科 唐木フクさんは、数年にわたりバザーの責任者を務めそのクリエイティブな才能で、毎年珍しい手作り作品を生み出し皆様の眼を楽しませている方です。

この三人で協力し合い、新風を吹き込みチームワークのよさが自慢の会を目指し、20名が和気藹々と仕事を続けることによって、自然にその空気が卒業生の皆様に伝わり、末永く桃李の会が続くよう一年、一年を大切に努力して過ごしてゆく所存です。

卒業生の皆様、今後とも桃李の会及び、常任幹事を応援し、ご指導の程何卒よろしくお願いいたします。


退任にあたり

前幹事長 7文 山下 陽枝

烏兎匆々と申しますが、齋藤よう様から幹事長をお引き受けして早いもので三年の月日が経過いたしましたが、このたび桃李の会幹事長を退任いたしました。

私儀、世界186カ国に140万を超える会員を擁する世界最大の国際的社会奉仕団体であるライオンズクラブ国際協会330A地区東京北ライオンズクラブ会長に七月より就任することになりましたため、暫くの間クラブ活動に専念したいと思っております。

在任中は、会員そして常任幹事の皆様にはご協力頂きましてありがとうございました。

さて、大学に移籍されましたが、臼田紘前学長におかれましては、桃李の会にご支援賜りましたこと厚くお礼申し上げます。

そして今年度より大学の山崎一穎学長が、短期大学部の学長も兼ねてくださることになり、又短期大学部長には大塚博先生がなられ、短期大学部も安泰かと思います。

このたび、山崎一穎学長が、やまなし文学賞の研究・評論部門で「森鴎外・歴史文学研究」が受賞されましたことは、私達にとりましても大変喜ばしいことでございます。

過日の桃李の会総会には、山崎先生、大塚先生にも御出席を頂き、短期大学部の現況等のお話があり、会員の方々にはご理解頂けたことと存じますが、短期大学部もこれからは色々と厳しい状況になってくるでしょう。 これも時代の趨勢で仕方のないことと思いますが、できる限り短大が継続することを祈っております。 万一の時には、会員の皆様、又名誉幹事長、相談役の方々とも連携をとりながら、対処して頂けたらと願っております。

跡見純弘理事長、吉田一惠事務局長、そして山崎一穎学長、大塚博学部長もいらっしゃいますので、安心いたしております。 なお相談役としてご指導頂きました奥村良子様、齋藤よう様がご退任されました。ありがとうございました。

在任中、私を援助くださいました関係各位に厚くお礼申し上げます。


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