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学園高等教育改革における
短期大学部の転換について

跡見学園理事長 跡見 純弘

平成2年11月以降、15年以上の長期にわたり推進してきた学園高等教育改革の最終局面で、このたび私は、理事長として、平成19年3月をもって学園の伝統ある短期大学部(短期高等教育)の56年の歴史に幕を下ろし、その教育機能を女子大学の4年課程の中に発展的に取り込むため、文学部とマネジメント学部の中の学科構成を拡大する計画を実施に移す決断を下して理事会に提案、その承認を得ました。

日本の短期大学制度誕生と同時に跡見高等女学校専攻科を転換して昭和25年4月に創設された短期大学部は、きめ細やかな家庭的指導を特色とする教養教育で戦後の女子高等教育を先導し高い社会的名声を維持してきました。しかし、校地規制によって定員増を伴う改革が難しく小規模な収容定員のまま今日まで推移してきた短期大学部は、昭和57年4月文科英文専攻課程開設後は消費収支が赤字基調を続け、これに加えここ2~3年はさらに定員割れにも陥っておりました。このため、短期大学部内でも長年にわたる議論の中で様々な方策が検討されました。しかし、次のような状況の変化、即ち―

  1.  急速な18歳人口減と進学率の頭打ちによる大学全入時代の早期到来のなかで、短大志望の女子進学が急速に四大・共学・実学志望に転換していること
  2.  四大における近年の学部学科の設置状況が実学志向で、従来の短大の教育内容をカバーするようになってきていること
  3.  短大における実学教育を更に徹底化し、なおかつこれを超える新しい職業分野をも目指す専門学校の進展が著しいこと
  4.  出口の見えない長期不況と雇用の流動化のなかで、短大卒の企業採用が急激に減少していること
  5.  歯止めなき少子高齢化から、女子の進学について親世代が女性の自立性をより高める四大進学を期待すること
―等が、高等教育への女子進学の受け皿としての短大の役割が特殊な分野を除き終了しつつあることを物語っており、短大を取り巻く環境は、極めて厳しい状況にあると言わなければなりません。

このことから、私は、志願者吸引力をさらに高め、常に将来に備え財務基盤を強化し、学園経営の安定を確保するためには、短期大学部の学科構成等の枠にとらわれない自由な発想に立って、茗荷谷キャンパスと新座キャンパスとの一体的な活用も視野に短期大学部の教育資源を女子大学の四年課程の中に発展的に組み込み、学生に対しさらに開かれた多様な教育機会と高度な教育サービスを提供するという、短期大学部の転換に踏み出す必要があるとの結論に至りました。

この短期大学部の転換に至る学園の高等教育改革の流れは、花蹊生誕150年周年の「綜合施設拡充計画」が一段落した平成2年11月、各学長・校長に対して、平成12年以降の臨時的定員終了後を視野に入れた将来構想の理事長宛具申を求め、これを取りまとめて将来計画の立案に着手するため、平成3年5月「合同協議会」を発足させたことを起点としています。当時は、文部省が臨時的定員増の終了と18歳人口の減少を視野に平成3年7月設置基準の大綱化を打ち出し、来るべき高等教育改革の環境作りに本格的に踏み出した時期でもありました。

「合同協議会」以後、関係教職員の努力により、議論は女子大学・短期大学のカリキュラム改革から改組転換まで視野に入れて「企画委員会」に引き継がれ、平成9年3月まで深められてきました。その成果は、学生に対しより多様な教育機会と高度な教育サービスを提供するための大学・短大間の単位互換及び編入学制度の実現、カリキュラム相互検討の推進等となって実現されました。また、その動きを更に促進させるべく平成7年4月には短期大学の名称変更(「短期大学」→「女子大学短期大学部」)も行われました。これにより、以後、女子大学と短期大学部とが学園の女子高等教育改革に一体となって取り組む基本的枠組みが生み出されたのであります。

平成4年の205万人から10年間で一気に50万人以上も18歳人口が急減し、一方逆に規制緩和から認可される大学・学部学科数も増加し、ますます厳しくなる私学を取り巻く環境にあって、学園が21世紀の女子教育機関として力強く生き残るためには、揺るぎない経営基盤の確保が何よりも重要であります。私には、短期大学の名称変更後のこの時期、既に、学園として失敗の許されない重大な決断が求められるときが間近に迫っているとの判断がありました。

熟慮の末、私は、学園高等教育改革にあっては既存の教育分野にとらわれることなく、これとは異なる全く新しい教育分野を取り入れ、第二の開学にも匹敵する女子高等教育の枠組みを学園として再構築する必要があるとの認識から、事柄の重要性に鑑み、平成9年5月、学外の有識者3名をお招きして「協力者会議」を設置し、外部からの忌憚のない議論を頂くこととしました。

2ヶ月にわたる議論の結果、平成9年7月、その「協力者会議」から、未来の女性のための新しい学問創造を目指した、文学系・家政系中心の従来の女子大には前例のない本格的な社会科学系の新学部(総合管理学部)を創設し、短期大学部を含む既存学部学科のすべてを一学部(総合文化学部)にまとめ改組転換するという大胆な2学部構想(2学部4学科)の提言を得るに至りました。

この提言を一つの価値ある将来構想と受け止め、平成9年9月、今この時を女子高等教育に抜本的な改革を加えるために学園に許容された最後のチャンスとして思い定め、直ちに学内理事を中心とする10名の教職員からなる「プロジェクトチーム」を設置し、この提言をたたき台に、期限を切って女子高等教育改革の将来構想について学園としての最終的な検討を委ねることといたしました。

「プロジェクトチーム」の三次にわたる答申の成果は、以後、学園内外にわたる多数の関係者の方々からご協力を得て、平成14年4月マネジメント学部の創設、文学部既存4学科の人文学科への改組統合及び文学部臨床心理学科の増設となって実現されました。

短期大学部の将来構想についても、この「プロジェクトチーム」で議論が深められ、平成13年3月の第三次の最終答申では、新学部創設に続いて平成18年度以降、家政・生活芸術の教育分野を中心に、短期大学部を女子大学の第三学部に転換させる改組方針も打ち出されていました。

これを皮切りに、以後、女子大学と短期大学部の両学長を兼任する山崎学長のもとで途切れることなく女子大学と短期大学部の改革が進められて行きました。平成16年4月短期大学部文科の名称変更(「文科」→「言語文化科」)、定員移動、続いて「プロジェクトチーム」の最終答申具現化のため女子大学内に学部創設準備室を設け検討を続けた結果、文部科学省からのアドバイスもあり、学部の設立を断念し学科を設置する以外にないという結論に達しました。次に平成17年4月大学院人文科学研究科の設置、平成18年4月マネジメント研究科の増設(本年6月認可申請済)、そして今回の短期大学部の転換に備え平成18年4月短期大学部学生募集停止と同時にその収容定員を原資として実施される文学部コミュニケーション文化学科及びマネジメント学部生活環境マネジメント学科の増設(本年4月届出済)により、現在、2研究科2学部5学科構成による新しい学園高等教育の姿が我々の前に立ち上がって来ております。

改めて申すまでもなく、学園における女子高等教育の改革は、これで終わるというわけではありません。これまでの一連の改革で構築された新しい女子高等教育のシステムが、今後、どこまで社会の教育需要に適合し存続することができるのかは、不確実であります。しかし、今後も確実に言えることは、「揺るぎなき経営基盤を欠いて教育の自立はない」ということであります。

私は、この短期大学部の転換の機会に、21世紀に対する柔軟かつ的確な展望に立った弛まぬ努力により、今後も女子教育について学園の名誉ある地位を従来にも増して一段と高めて行くことができるよう、改めて皆様にご理解ご協力をお願いする次第であります。


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