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企画展「跡見花蹊の風景展-花蹊のスケッチ手帳ー」・「明治のメディアが捉えた跡見花蹊展」開催のお知らせ

2019年9月20日

2019年9月24日(火)から12月6日(金)まで、企画展「跡見花蹊の風景展ー花蹊のスケッチ手帳ー」と「明治のメディアが捉えた跡見花蹊展」を同時開催します。
展示室1では、「跡見花蹊の風景展」ー花蹊のスケッチ手帳ー と題し、跡見花蹊の小さな手帳37点を中心にご紹介する。花蹊が常に携帯していたと思われる小さな手帳には、様々な形態で、その内容は日記、和歌、覚書、旅の風景や動植物のスケッチをはじめ、英単語や花蹊のお気に入りの能に関しても書きつけられている。花蹊記念資料館ではこれらの手帳37冊の調査をし、リスト化を行った。現段階ではまだ十分な解析とは言えないが、『花蹊日記』の欠落している年代の情報を探る手立てともなる資料であると思う。
今回は、この手帳の中から「風景」に焦点を当てご覧いただきたい。これらのスケッチは、花蹊の作品の下書きまたは草稿と言えるものである。花蹊の日々の目線や考えを読み取っていただければと思う。
また、「四季山水図」は埼玉県比企郡小川町の旧家、伊藤家から寄贈された襖絵を軸装した4幅対の軸である。最近の調査により、この作品が襖絵であったこと分かった。今回はこの4点を一堂に公開し、その醍醐味を味わっていただきたい。
その他展示室1では「昭憲皇太后御袿」や花蹊の代表作「秋虫瓜蔬図」、「萬山畳翠図」、「易経(坤)」などをご鑑賞ください。

展示室2の「明治のメディアが捉えた跡見花蹊展」では、幕末・明治の激動期の中、私学の女子教育設立の先駆者として活躍した人物は、大妻技芸伝習所の大妻コタカ、実践女学校・女子工芸学校の下田歌子、共立女子職業学校の鳩山春子、女子英学塾の津田梅子などが挙げられる。その中で私立の女子校として最も早く設立されたのが跡見花蹊による跡見学校(明治8年11月開校式)である。跡見学校の名前は世に知れ渡り、跡見花蹊も時の人となっていた。そんな勢いの中、跡見花蹊がメディアに登場したのはいつ頃であったのだろうか。
メディアとしての新聞は幕末から明治初期に登場している。跡見花蹊の名前が、新聞紙上に最初に掲載されたのは明治6(1873)年1月の『新聞雑誌』(第73号7面)であった。その内容は、閨秀画家として有名な奥原晴湖、間宮八十子とともに昭憲皇太后に御所に召され、歌や画をご覧に入れたという記事である。跡見花蹊は教育者であるとともに書画の才能もあった。この記事から跡見花蹊がどういう人物であり、また皇室との関わりが強いことを印象付けた。その後花蹊は、雑誌や番付表、雙六などにも名前をのぞかせるようになる。
今回の企画は、平成8年『にいくら』創刊号にご寄稿いただいた山崎一穎理事長の『メディアの捉えた跡見花蹊』を元に、花蹊記念資料館でも調査を行い、展示として形に表したものである。この場を借りて山崎理事長に御礼を申し上げる。
明治の新聞を中心としたメディアが、いかに跡見花蹊を捉えていたかという視点を探ることから、新たな角度の跡見花蹊が見られたら幸いである。

企画展 「跡見花蹊の風景展ー花蹊のスケッチ手帳ー」
「明治のメディアが捉えた跡見花蹊展」
・会場: 跡見学園女子大学花蹊記念資料館 展示室1・2
・会期: 2019年9月24日(火)~12月6日(金)
・開館時間: 9:30~16:30
・休館日:日曜・祝日 入館無料
※9/29(日)・11/3(日)は開館

ポスターA4

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