おとずれ39 目次 / ご挨拶 / 名誉教授 田尻嘉信先生 ご逝去 / クラス会 / 支部会 / イベント

名誉教授 田尻 嘉信 先生 ご逝去

昭和25年、早稲田大学文学部を卒業。
昭和32年、跡見学園短期大学に就任。
昭和62年から平成7年まで学長を二期歴任。
平成9年、退任。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


追悼 田尻嘉信先生の学問業績を偲ぶ

理事長 山崎 一穎

 田尻嘉信先生は、早大大学院修了後、昭和30年跡見学園中学校高等学校教諭として赴任され、35年跡見短期大学の専任となられた。 先生の学問は中世和歌文学の研究にあった。 短期大学での授業はもとより、跡見学園女子大学の兼任講師として昭和40年から62年まで学生の指導にあたられました。 改めてお礼を申し上げます。 大学では、古典講読や「百人一首」の授業をなさっておられました。

 跡見短大は、学祖花蹊先生の教育の伝統に基づき百人一首の蒐集に努めており、図書館司書の方々の尽力があって収蔵資料約2,500点に及んでいる。 保存に重点が置かれ非公開であった。

 田尻先生は学長として、跡見花蹊生誕150年、跡見学園短期大学設立40年記念事業として「百人一首」を初めて外部へ公開した。

 平成2年9月下旬、丸善の日本橋店4階ギャラリーに於いて約180点を展示し、かつ図録も編んでいる。 短期大学の学的資源を公開することで学界に寄与し、一般市民の目を楽しませた功績は大きい。

 和泉書店から『百人一首注釈書叢』全20巻が刊行されている。 その一冊を田尻先生が執筆しておられる。 『百人一首切臨抄』(平成11年3月刊)がそれである。 切臨の注釈書は短大の所蔵で、稀覯書である。 田尻先生は「解題」で成立、著書、注釈史上の特徴、享受と影響について述べ、翻刻本文を提示している。 稀覯書であるだけ、学界に於ける評価も高い。 百人一首の公開と研究に先生の業績を偲び、ご冥福を祈りたい。合掌。


田尻先生の穏やかさ

副学長 大塚 博

 昨秋10月、田尻嘉信先生の訃報に接した。 年初には例年と変わらず、目になじみの手書きの言葉が添えられた年賀状をいただいていたので、突然のご逝去に驚きと悲しみは深かった。

 田尻先生を思うとき、いまに鮮やかに浮かんでくる一シーンがある。 先生が二期目の学長職にあり、私が教務部長を命ぜられてお手伝いをしていたときのことだ。 ある入試の当日、先生が事務局内(当時の短大東館)の椅子に一人静かに端座しておられた。 業務終了までまだ時間がかかることをお詫びすると、「待つのが僕の仕事だから」とやさしく言葉を返してくださった。 先生の粘り強さ、そして優しさ、穏やかさを目の当たりにして、深く心に残ったことであった。

 田尻先生は短期大学在職中、学長職二期8年をはじめ、事務局長、教務部長、文科長など要職を歴任された。 ことに学長職にあった時は、短大の運営が年を追って難しくなっていった時期でもあり、難事の多い日々であったろうと拝察する。 しかし、そうした時期にあっても、会議の時、打ち合わせの時、いかなる時も先生の温容は変わることがなかった。 先生はその職務を粘り強く、また穏やかに全うされた。

 11月の1日、田尻先生のお宅に弔問に伺った。高台にあるお宅は先生の穏やかなお人柄そのままに、静かでやさしいたたずまいであった。 一室の書棚に架蔵された国文学関係の書籍に先生を偲びながら、遺影に手を合わせ、香華を手向けさせていただいた。

 ご冥福を心からお祈り申し上げます。

ページのトップ 目次


メール

(C)Atomi Gakuen All Rights Reserved