【跡見生のみなさんへ】国際交流より

2017年5月9日
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跡見生のみなさんへ。ゴールデンウィーク前にプリントや掲示でお伝えした、素晴らしい先輩についてHPでもご紹介します。世界的に有名な名門カリフォルニア州立大学バークレー校(University of California, Berkeley)で建築を学ばれている後藤香奈さんからの、みなさんに宛てたメッセージをお読み下さい。  国際交流

跡見学園の皆さん、ごきげんよう。

今、私はカリフォルニア州立大学バークレー校(University of California, Berkeley;以下UCBと記述)にて建築を学んでいます。UCBに行くと決めたのは今から9年前、私が11歳の頃でした。ふらっと立ち寄った本屋さんで、何気なく手にした本が安藤忠雄という建築家の作品集でした。何も考えずにページをめくると、飛び込んできたのが光で造り出された十字架。コンクリートと太陽の光だけでこんなにも幻想的な空間が造れるのか、と衝撃を受けました。と同時に、私の使命は建築家になることだ!と幼心に確信しました。この思い一筋で、9年間、色々なことを乗り越えてきた気がします。あの日以来、建築で、コンクリートで、それから安藤忠雄で頭がいっぱいになり、ついに安藤先生にどこで会えるのだろう?安藤先生から学べるのだろう?と思い、調べていたところ、数ある大学の客員教授歴の中から不思議と目に留まったのがUCBでした。Berkeleyの読み方や綴りすら知らないのに、私は必ずここで学ぶのだ!と、突き動かされたように作った人生計画表に、20歳でUCBへ行く!と気がつけば書き込んでいました。

そんなに強い思いで、アメリカの大学に行きたいと思っていたのなら、さぞ、英語は得意科目だったのだろうと思う方がいるかもしれませんが、英語は超苦手。むしろ大嫌いでした。跡見学園に在籍していた中学3年間と高校1ヶ月、先生方には常に心配されている生徒でした。テストでは赤点のオンパレード。クラスの中ではほぼ下位のレベルが定位置でした。これだけ周りに心配されるほどの状況にもかかわらず、『なんで勉強をしないといけないのか』と開き直る体たらく。今思うと、完全に、勉強方法を理解すらしていませんでした。そろそろこの成績じゃ危ないな、と自分の中で危機感が生まれ始めた頃、父の転勤が決まり、アメリカのサンフランシスコに移り住むことになりました。

移り住んでからのカルチャーショックは、私が築き上げてきた人格など、すべてのことを覆されるほどのものでした。まず初めに、言葉の壁、それから存在の否定。アメリカ生活を始めてすぐに現地の高校に入学したのですが、当たり前ではありますが、周りはすべてアメリカ人。身振り手振りを交えて話そうとしても、出てくる単語が全く無く、クラスの子逹は私のことを完全に無視。先生の中ですら、呆れ顔で取り合ってくれない方もいました。最初のころは、毎日が悔しく、緊張の連続でした。自分を理解してくれる友達も居らず、助けてくれる人も少ない孤独な環境でもがき、苦しんだ時期でした。

ただ、そんな苦しい中に光のごとく閃いたのが、何か一つ、他の誰よりも秀でるものがあれば自分にとってはそれが武器になり、鎧になるかもしれない!と言うことでした。英語は話せない、突き抜けた特技も今はない。だったら勉強で突き抜けること、これしかないと思ったのです。

幸運にも、クラス分けを決めるために受けた実力テストの数学で満点を出し、同様に理科のテストでも高得点を出し、なんと、いきなりクラスを2学年上のクラスにスキップすることができました。日本の数学と理科は、世界では強いのだ、ということを実感した瞬間でもありました。そのあたりから、ちゃんと日本人として、後藤香奈として周りから認められたい、という気持ちが高まってきました。もちろん授業はすべて英語なので、少しでもわからないことを減らすために、毎日、学校でも家でも、予習復習の繰り返し。お昼休みも、お弁当を食べながら次のクラスで出てくる単語を辞書で必死に調べてインプットしていました。そのルーティーンを繰り返していくうちに、英語のクラスで応募した詩のコンテストで賞を頂いたり、現地の新聞に『Student of the Week』という学校代表の生徒として選ばれ、新聞に載せていただいたりしました。その時はいまひとつ、なんのことかピンと来なかったのですが、先生方や友達から『それってすごいことなんだよ!成績だけじゃなく、香奈の人間力も評価されたってことなんだよ!』と言われた時は初めて、異国で自分という人間を認めてもらえた気がして、心から嬉しかったのを覚えています。気がつけば、先生方や友人にも囲まれ、たくさんの人が応援してくれるようになりました。ただただ、UCBで建築を学びたいという気持ちと、当時、自分を見下していた人たちを見返したいという思いで、毎日踏ん張っている日々でしたが、たくさんの人が背中を押してくれ、支えてもらえたことに、深く感謝をしています。

はっきりいって、今でも飲み込みは遅いし、すぐには応用もできない。でも、そんな自分をいつも俯瞰で観察し、分析して弱い部分を補うようにしています。自分の弱点を理解していたからこそ、他人の5倍は勉強しないといけない、と気がつき、その気づきがあったからこそ、自分を変えていくことが出来たのかもしれません。さらに、アメリカの現地校で学んだことは『行動力』。何かを思ったら、すぐに行動に移さないとチャンスは逃れていく、ということです。

この経験を元に、地元のコミュニティーカレッジに進学してからも、もっともっと発言力と行動力をつけるため、カレッジにいた2年間、色々な部活の部長と、Honor’s Societyでボランティア活動をしました。

また、Student Governmentでは、オフィサーになり、勉強での成績はもちろんのこと、人間関係や時間配分、リーダーシップなど、多くのことを学びました。たくさんのことを掛け持ちしていたので、大変なことも多くありましたが、学校、教授、それから友人達から支えてもらい、深い絆を築くことができました。また、そこでの活動が評価され、米国議会の中のMarin Women’s Political Action Committeeから『Student Leader Award』を大学の女性リーダー代表のひとりとして表彰していただきました。そして、念願であり、目標でもあったUCBからの建築学部に合格したという通知を受けた時は、今までの全てが報われた一瞬でもありました。

 

UCBに入ってからは、楽しくも辛い、本格的な試練の日々が始まりました。実は、UCBに入ってからこそが私のスタートで、日々、挫折や己との闘いでもあります。今まで跡見や現地校、そしてカレッジで培った全てをフル活用しながら、世界レベルの中で、今学んでいます。今では私の武器になった『行動力』と『人間力』。そしてなにより、跡見で教わった、『心を強くするために学ぶ』その言葉を胸に、自分で作り上げていった『強い心』を強みとし、UCBの建築学部で日々学び吸収しています。課題に追われ、3日間研究室にこもりっきりで寝られない日々だったとしても、それすらも幸せと感じています。己のレベルを突きつけられ、辛いことも、幸せなことも同時に起きる環境の中での学びは、精神的にもダメージは大きいですが、その痛みは自分をさらに成長させてくれるはずだと信じて、未来の可能性を広げるために、日々努力をしています。いずれ、建築を通し、発展途上国の人々が自力で国を再建できるようなプロジェクトを発足させ、世界中にその活動を広めていくことが、今の私の大きな目標です。小さな一歩でも歩み続ければ、いつか遠くに、そしてさらに未来に繋がり、必ず現実に変えていく、そう確信しています。

後藤さん2

後藤香奈さん

後藤さん3

授業でのプレゼン風景

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U. C. Berkeley Sather Tower 夕景

 

 

 

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